Coffee Shops In San Francisco

 それはアメリカ西海岸の、サンフランシスコという名前の街で。

 日常とは案外とそんなものかもしれない。サンフランシスコのカフェは

私にそれを思い出させてくれる、「特別」なのに「普通」の場所。

カフェなんて気取らずに、コーヒーショップ。

それで十分。

風が吹き抜けている街。気付くと、丘からダウンタウンへ。ベイから家々へ。

風とともにある街。緑を揺らす。光を揺らす。

 99セントで飲めるひどく不味いコーヒーを「悪くないな」と思うのは、

きっと大好きな男の子とこれから出掛ける夕食に

思いを巡らせているからかもしれない。

お気に入りのコーヒーショップはいくつもある。

何気なくて、さらっとしてて。近所の友達の家につっかけで

遊びに行くような感じ。ユニオンスクウェアやノースビーチ、

ソーマ辺りの有名なコーヒーショップは

観光客と地元の人が一緒になってわいわいしていて、

それはそれでとても楽しい。

けれど、市街の家並みの間に、店なのか家なのか判断しにくい

ようなものがぽこりと建っていたり、隅にちっちゃなスタンドを

申し訳程度に造り付けただけの雑貨屋や、

暇だと店番の子がソファでごろりとして雑誌なんか読み出してしまう、

そんな店の方が私はずっと好きだ。


 "Royal Ground Coffee in Clement Street" 

サンフランシスコ市内の北西部に位置する

リッチモンド地区。ここを東西に横切るクレメントストリートには、

チャイニーズ、コリアン、インディ、アイリッシュ、

様々な人種が暮らしている。通りを一巡すれば、

複雑なスパイスの匂いや店の軒先にぶら下がった鶏の丸焼きが、

素朴なクッキーや美しいタルトを売るパティスリーから漂う甘い香りと、

仲良く軒を並べている事に気付くだろう。

クレメント通りも終わりに近い

住宅街の落ち着いた静けさの中に、このコーヒーショップはある。

それでも辺りは、ヴェトナム料理屋やチャイニーズのラウンドリーがあったり、

とにかく東洋人とよくすれ違う。「彼は今エイゴを使っていたの?」

「そうだよ、訛りがきついけどあれは英語」

「なんだ、てっきりあなた広東語使えるのかと思った」

「ところで彼は知り合い?」「ううん。ただ、元気?って、挨拶されただけ」

陽の光が時間を追ってその輝きを変えるように、

コーヒーショップも同じ一日の中でも、たくさんの顔を持っている。

休日の朝。この店は、穏やかで楽しい空気に満ちている。

まだベッドの暖かい余韻が抜けきらない顔をした人達は

それぞれのやり方で朝の時間を楽しんでいる。

窓際のテーブルでは家族連れが二組陣取っている。

子供には甘いデニッシュを。

マム達は、あははと大きな声で笑いながらおしゃべりに夢中。

そして手にはお決まりのクリームチーズ&ベーグル。

ガタガタする椅子。フリーペーパーの山。籠に盛られた特大クッキーに、

棚にはジャーに入ったたっぷり甘いアメリカンケーキがずらり。

壁に掛かった大きな黒板には本日のおすすめがびっしり書き込んである。

そんな家族連れを横目に、

私は熱いコーヒーを啜りながらゆっくりと新聞を読む。

テーブルの下では、

向かいに腰掛けている大好きな男の子の脚を挟んでいたずらしながら。


 "Starbucks Coffee in YerbaBuenaGarden"

 青い空に切り込むような、白の直線、

矩形の集団。ここは、まるで空中回廊。

サンフランシスコ近代美術館と通りを隔てて
隣り合っている

ヤーバブエナセンター。

ここは庭園であるヤーバブエナガーデンを中心とした、

アートセンターやギャラリー、映画館が入る多目的施設だ。

ガーデンとアートセンターをつなぐ最上階のフロアはすでに屋外。

人の行き来は少なく、まるで温室のようなガラス張りの店内には、

青く澄んだ陽の光が柔らかく降り注ぐ。北側のベイに向かって

並べられたテラス席を藤棚の落とす濃い蔭が覆う。

目の前の庭園に植えられた色鮮やかな花や、葉の大きな

熱帯植物を通して、遠くダウンタウンのビル群が見える。

「旧式」「新式」何もかも。

レンガ壁の建物の間を縫うように作られてゆく高層ビル。

ここに座ると、この街の全てが手に取るように感じられる。

マジューンという麻薬が、アフリカ大陸のマグレブ地域にはあるという。

それを採ると、「まるで体ごと太陽まで持って行かれる」

そんな高揚した幻覚作用がある、あるアメリカ人作家はこう言っていた。

遠くに、近くに。

現実を辛うじて思い出させるのは、前を通り過ぎる人達と、

時折聞かれる椅子を引く音だけ。

青、白、紫、空、透明な、濃い緑の蔭。

ポール・ボウルズを読むような、

小さな異郷。

サンフランシスコは壁画アートが盛んな街でもある。

ヤーバブエナの筋向かいのおんぼろビルには、空へと伸びた

巨大な標識が描かれている。「ONE WAY」一方通行。上へ。

Up above the world

世界の真上へ、私達の時が遡ることがないように。



"Citizen Cake in Grove Street" 

きちんとしたご飯を食べたいね。デザートはあの店でとろうか。

気の置けない仲間や、特別な子と時間を過ごしたい時に

この店に来る。

「今日はCitizen Cakeに行こうよ」ここのとびきり美味しい菓子の

評判を聞きつけた、美味しいもの新しいものへの

感度の良い人たちでいつも店は賑わっている。

私も普段より少しだけ背筋を伸ばして、ここでの時間を楽しむ。

梁の突き出た、高くて広い天井。

壁一面に張り付けられた鏡が、白く明るい店内を

さらに心地よく広げている。

入り口近くのショーケースに整然と並べられた美しいフランス菓子。

すぐ横のカウンター席では馴染みの老女に

店の男の子がグリーンスープの入った丸い皿を出している。

「いつものやつでいいんだよね?」

ゆっくりと立ちのぼる柔らかな湯気。

TV撮影の機材を持ったクルー達がたびたび出入りする横で、

クツクツ笑いながらビスケットのかけらを互いに飛ばしあう私達。

「いつもよりドレストアップしてきたのに、

どこでもこんなことばかりしてるよね?」

そうだね、ほんとそうだ。

ああ、踵の高いこの靴は、この男の目に好ましく映っているだろうか?

白。すべてを塗りつぶす。白く飛ぶような光の降り注ぐ表通り。

目の前にある真っ白なリネンのナプキン。

耳は、好きな音だけを拾っている。

時間は、本当はいつだってとても上質なものへと変化する用意がある。

私達はそれに気がつきさえすればいい。



水を飲みたくなるように、コーヒーショップへ行きたくなる。

それはいつも私のそばにあり、そこでの記憶は気付くと常に鮮明なものとなる。

たとえオレンジ色の仄かな光の下で夜の時間を過ごしていても、

まるで体の上に刻み込まれた刺青のように、

それは消える事なく鮮やかに立ち上がる。

一つ一つの出来事、

本のページをめくる音も、タバコの煙の揺らぎさえも、

ここにある。

この街は良い匂いがする。

独りでいることを寂しいと思う場所はいくらでもある。

でも、独りでいることは"ただ退屈なだけなのだ"と

気付かせるのが、サンフランシスコ。

この街を知り尽くしてしまうのも時間の問題だね?

車のギアを落としながら、男の子がそう私に尋ねる。

たぶんね。開けた窓から急な上り坂を振り返ると、

ずっと先に海が見える。

だから私は、いつもここに戻ってくるんだ。


written by 
藤沢佳乃

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